大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所久留米支部 昭和54年(ワ)140号 判決 1984年7月12日

原告(反訴被告)

高尾勇治

ほか一名

被告(反訴原告)

谷久夫

主文

一  反訴被告(原告)らは反訴原告に対し、各自金一七二五万二四三〇円及びこれに対する昭和五三年七月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴原告のその余の反訴請求を棄却する。

三  昭和五三年七月八日午前七時五〇分頃、久留米市荘島町一二番地の四先交差点において発生した交通事故に基づき、原告らが被告に対し支払うべき損害賠償債務は、一項掲記の範囲を超えては存在しないことを確認する。

四  原告らのその余の本訴請求を棄却する。

五  訴訟費用は本訴反訴を通じてこれを五分し、その三は被告(反訴原告)の負担とし、その余は原告(反訴被告)らの負担とする。

六  この判決の一項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  本訴請求の趣旨

1  昭和五三年七月八日午前七時五〇分頃、久留米市荘島町一二番地の四先交差点において発生した交通事故に基づき、原告らが被告に対し支払うべき損害賠償債務がないことを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  右に対する答弁

1  原告らの本訴請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

三  反訴請求の趣旨

1  反訴被告らは反訴原告に対し、各自金五〇八七万五三四四円及びこれに対する昭和五三年七月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は反訴被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

四  右に対する答弁

1  反訴原告の反訴請求を棄却する。

2  訴訟費用は反訴原告の負担とする。

第二本訴請求原因

一  交通事故の発生

昭和五三年七月八日午前七時五〇分頃、原告(反訴被告、以下単に「原告」という。)高尾勇治は、普通乗用自動車(福岡五七さ七六一七)を運転して、久留米市梅満町方面から城南町方面に向け時速約三〇キロメートルで進行し、同市荘島町一二番地の四先交差点で約一五キロメートルに減速し、左折合図のうえ、左折したところ、左後方から原動機付自転車を運転直進してきた被告(反訴原告、以下単に「被告」という。)に衝突し、被告を負傷させた。

二  原告らの責任原因

原告両名は、前記自動車を自己のため運行の用に供していた者である。

三  原告の治療経過

1  重富外科医院

頸部、胸、腰背部、右上・下肢挫傷兼挫創により、受傷日から昭和五三年八月二〇日まで入院(四四日間)

2  花畑病院

頸椎捻挫、胸部、右肘部、右膝関節部打撲により、同年八月二一日から同年一二月一八日まで入院(一二〇日間)、同年一二月一九日から昭和五四年一月二五日まで通院(三八日間のうち実日数二三日)

この間、レントゲン検査では異常所見はないと診断され、右通院期間中経過観察したが、症状は一進一退の状態であつたので、花畑病院は治療を打切つた。

3  桑野眼科医院

眼精疲労、交通事故後遺症、眼窩神経痛等の診断により、昭和五三年一〇月二三日から同年一一月三〇日まで通院(三九日間のうち実日数二四日)

4  久留米大学付属病院

(一) 脳神経外科

昭和五四年一月二二、二四日受診し、外傷性頸部症候群の診断を受けた。

(二) 眼科

同年一月二四日受診し、左眼痛を訴えたが、精査の結果異常なし、治療の要なしとの診断を受けた。

以上のような経過から、花畑病院が治療を打切つた昭和五四年一月末頃には、被告の症状は治癒ないし症状固定の状態にあつたと考えられる。しかし、被告はその後も通院を続けている。

5  健和総合病院

外傷性頸部症候群、胸椎挫傷、腰部挫傷、頭部外傷の診断により、昭和五四年一月一七日から通院

同病院では、当初、知覚反射の異常はない、CTスキヤン等諸検査に異常を認めないと診断していたにもかかわらず、同年六月になると、今後約一か月の入院治療と六か月の通院治療が必要であると診断し、同年六月二九日から入院治療中である。

四  賠償金の支払

被告は事故直後から、強硬かつ執ように金員の支払を求め、原告らはやむなく、これに応じてきたが、その支払額は六四〇万六八二九円(内訳、医療費・診断書料七九万五六二〇円、バイク修理代一万一七〇〇円、バイク買替代五万一〇〇〇円、靴・ズボン代二万七〇〇〇円、休業損害等五五二万一五〇九円)にも達する。

五  債務の不存在

前記のとおり、被告は現在もなお健和総合病院で治療を受けているが、その治療の必要性には疑問があるばかりか、すでに原告らから多額の賠償金の支払も受けているので、もはや原告らには賠償義務はない。しかし、被告はなおも金員の支払を要求するので、ここに債務不存在の確認を求めるものである。

第三本訴請求原因に対する認否

一  本訴請求原因一項の事実中、原告が時速約一五キロメートルに減速したうえ左折したとの点は否認し、その余は認める。

二  同二項は認める。

三  同三項について

(一)  1は認める。

(二)  2の事実中、入院・通院の期間は認めるが、その余は不知。被告が花畑病院を退院したのは、同病院が被告の病状を的確に把握せず、適切な治療を施さなかつたため、被告に強い不信を抱かせたからである。

(三)  3は認める。

(四)  4の(一)は認め、(二)は否認し、原告らの主張は争う。

(五)  5の事実中、被告が昭和五四年一月一七日から健和総合病院に通院治療を受け、同年六月二九日から入院している点は認めるが、その余は否認する。

四  同四項のうち、原告らが被告に損害賠償債務の一部を履行してきたことは認めるが、その額は否認する。被告は当然の権利行使をしてきたにすぎない。

五  同五項は争う。

第四反訴請求原因

一  原告らは、本訴請求原因一項の交通事故について損害賠償義務がないと主張する。しかし、被告は右交通事故により多額の損害を被つている。

二  治療状況

原告は前記交通事故により、外傷性頸部症候群、胸部挫傷及び腰部挫傷の傷害を受け、次のとおり入通院治療を余儀なくされ、昭和五六年七月三一日症状固定の状態となり、後記の後遺障害を残すに至つた。

1  重富外科医院

入院 昭和五三年七月八日から同年八月二〇日まで(四四日間)

2  花畑病院

入院 昭和五三年八月二一日から同年一二月一八日まで(一二〇日間)

通院 同年一二月一九日から同五四年一月二〇日まで(三三日間、実日数二三日)

3  健和総合病院

通院 昭和五四年一月一七日から同年六月二八日まで(一六三日間、実日数三〇日)

入院 同年六月二九日から同五五年三月二六日まで(二七二日間)

通院 昭和五五年四月一日から同五六年二月二八日まで(三三四日間、実日数八一日)

4  藤川医院

通院 昭和五六年三月三日から症状固定の同年七月三一日まで(一五一日間、実日数七六日)

なお、症状固定後も要治療状態にあり、現在も通院を続けている。

5  桑野眼科医院

通院 昭和五三年一〇月二三日から同年一一月三〇日まで(花畑病院に入院中の三九日間、実日数二四日)

6  久留米大学付属病院

通院 昭和五四年一月二二日及び同月二四日

〃 昭和五五年一一月二〇日

7  小倉記念病院眼科

通院 昭和五五年二月一五日

8  九州大学付属病院眼科

通院 昭和五五年一一月二八日から同五七年九月二〇日まで(実日数一一日)

9  第一治療院

通院 昭和五四年一月二九日から同五五年八月七日まで(実日数七八日)

10  岡田鍼灸科療院

通院 昭和五四年一二月一七日から同五五年一二月まで(実日数六日)

三  損害

1  治療費 六〇八万八二二五円

2  付添費 八二万円

妻松子の休業損害を含む。

3  通院交通費 九二万七三一〇円

4  雑費 五七万円

入院期間四三五日 一日につき一〇〇〇円

通院実日数二七〇日 一日につき五〇〇円

5  休業損害 九九三万五五二〇円

事故前三か月の収入による平均賃金日額八八七一円として、事故発生の昭和五三年七月八日から症状固定の同五六年七月三一日まで一一二〇日分

6  慰謝料 七〇〇万円

(一) 入通院分 三〇〇万円

(二) 後遺障害分 四〇〇万円

被告には本件交通事故による後遺障害として、受傷部位に残存する頑固な神経症状と眼障害がある。前者については久留米労働基準監督署長により労災保険法施行規則の別表障害等級認定基準に定める第一二級一二号の認定がなされていたが、昭和五八年初め労災保険給付を打切られたため、厚生年金保険法による障害年金の給付を申請したところ、同法別表第一の三級一四号の「傷病がなおらないで、精神若しくは神経系統に、労働が制限を受ける程度の障害を有するもの」と認定され、更に、身体障害者福祉法に基づく身体障害者手帳の交付を申請したところ、同法別表二「左に掲げる聴覚又は平衡機能障害で永続するもの」のうち、平衡機能の著しい障害をもつ者ということで、福岡県知事より身体障害者の認定を受けた。右厚生年金法別表第一の三級一四号は、労災保険法の障害等級の七級に該当するものであり、労災保険と自賠責保険の後遺障害等級とは同一内容であるから、これらを総合すれば、自賠責保険法別表の後遺障害等級表の七級四号に該当することになる。後者の眼障害は未だ症状固定に至つていないため、障害等級の認定は受けていないが、両眼とも視力が〇・二以下に低下しており、九級一号に該当する。この両者を併合すると六級に該当することになるが、少くとも七級には該当することが明らかであり、その慰謝料としては四〇〇万円は下らない。

7  逸失利益 三八三二万四八〇〇円

症状固定時三四歳の男子の平均賃金月額二九万七三〇〇円により、後遺障害等級七級相当の労働能力喪失割合五六パーセント、就労可能年数三四年として、その間の逸失利益の現価を新ホフマン式(係数一九・一八三)により計算する。

8  バイク修理買替費用 六万二七〇〇円

9  時計破損料 二〇万円

10  損益相殺 一〇一四万五一一一円

(一) 自賠責保険より 一二〇万円

(二) 自動車保険より 五二〇万六八二九円

(三) 労災保険より 三七三万八二八二円

11  弁護士費用 四六二万円

四  以上によれば、被告は原告らに対し、なお金五八四〇万三四四四円の損害賠償債権を有することになるが、そのうち金五〇八七万五三四四円及びこれに対する事故発生の昭和五三年七月八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第五反訴請求原因に対する認否及び原告らの主張

一  反訴請求原因一項は争う。

二  同二項について

(一)  冒頭の傷害の内容は不知。

(二)  1、2、3、5、6、7の各入通院の事実は認めるが、全部について本件との相当因果関係を認めるものではない。

(三)  4、8、9、10の受診の事実は不知。

三  同三項について

(一)  バイクの修理買替費用として六万二七〇〇円を要したことは認めるが、本件事故による損害としての相当性は争う。

(二)  その余の損害はいずれも争う。

(三)  被告の主張する後遺障害なるものは否定されるべきものであつて、そのことは、カルテ及びレントゲンフイルム等によつても、被告の症状に関する訴えはあるもののそれを裏付けるに足る客観的所見がないこと、鑑定人の鑑定結果によつて、裏付けられる。

しかも、被告の訴えも神経症的加重状態にあるとされるのであつて、障害等級は一二級にも該当せず、せいぜい一四級と評価し得るか否かの程度である。

(四)  10の弁済額については認めるが、自賠責保険ないし自動車保険からとするのは、いずれも原告らにおいて支払つたものである。

四  過失相殺

本件事故発生については、被告も自転車専用道路をバイクに乗り、通常自転車の走行する速度よりはるかに速い三〇キロメートルで走行し、しかも、先行する原告車両の左折の合図を見落として、そのまま直進衝突した過失があるので、相当の過失相殺がなさるべきである。

第六原告らの主張(過失相殺)に対する反論

過失相殺の主張は認められない。両車両が道路左側を並進しているとき、いきなり乗用車で左折してこられては、バイクで走行中の被告は避けようがない。このことは原告勇治の供述及び実況見分調書から明らかである。

第七証拠〔略〕

理由

一  交通事故の発生

本訴請求原因一項に記載の日時、場所において、原告高尾勇治の運転する普通乗用自動車と被告の乗つていた原動機付自転車とが衝突し、同事故により被告が負傷したことは当事者間に争いがない。

二  原告らの責任原因

原告両名が前記自動車の運行供用者であることも当事者間に争いがないので、原告らは自賠法三条に基づき被告が右受傷により被つた損害を賠償する責任がある。

なお、被告主張の損害中には、前記原動機付自転車の修理買替費用六万二七〇〇円及び時計破損料二〇万円が含まれているところ、右物損に関しては、原告両名の責任原因について明白な主張がない。しかし、そのうち前者については原告らからすでに弁済がなされていることが明らかであり(甲第二、第三号証)、後者については損害の発生、その額など何らの立証もない。

三  被告の治療経過

当事者間に争いのない事実に、いずれも成立に争いのない甲第五二号証の七、第五三ないし第五九号証、第六〇号証の一、二、第六一、第六二号証、第七一号証、乙第一ないし第五号証、第六、第七号証の各一、二、第八ないし第一〇号証、第一三号証の一ないし三、第一四号証の一、二、第一五号証の一ないし三、第一六号証、第一七号証の一、二、第二〇ないし第二九号証、被告本人尋問の結果によりその成立を認める乙第五九ないし第六三号証、証人四方田宗任、同藤川勝正の各証言、被告本人尋問の結果を総合すると、次のように認められる。

1  被告は、本件事故によつて受傷した直後、近くの久原外科医院で取りあえず手当を受け、警察の実況見分に立会つた後、事故当日の昭和五三年七月八日から同年八月二〇日まで四四日間、重富外科医院に入院し、頸部、胸、腰背部、右上・下肢挫傷兼挫創の診断で治療を受けた。

2  同年八月二一日花畑病院に転院し、同病院では頸椎捻挫、胸部、右肘部、右膝関節部打撲の診断で、同日から同年一二月一八日まで引続き一二〇日間入院し、更に退院後も、同年一二月一九日から昭和五四年一月二五日まで三八日間(実日数二三日)通院して治療を受けた。その間、頑固な頭痛、項部痛、胸痛等があり、両上肢のシビレ感、視力障害、右膝関節痛を訴えていたが、症状は次第に緩解傾向を示し、最終診療の時点において、なお項部痛、上肢の脱力感及び疼痛を残して、症状は固定の状態にあると診断されていた。

3  そして、右花畑病院に入院中、被告が視力障害等を訴えていたところから、同病院の紹介で、まず(一)桑野眼科医院を受診し、交通事故後遺症(頸椎動脈狭の疑い)、眼精疲労、屈折調節異常、眼窩神経痛、急性神経痛の診断により、昭和五三年一〇月二三日から同年一一月三〇日まで三九日間(実日数二四日)治療を受け、また(二)久留米大学医学部付属病院の脳神経外科と眼科を、昭和五四年一月二二日と二四日の二回受診し、脳神経外科では、外傷性頸椎症候群、大後頭神経痛又は左血管性頭痛の疑いで諸検査を行つたが、脳波等に異常所見は認められず、眼科においても、視力が右〇・六、左〇・七であつたほか、諸検査の結果には異常なく、治療の必要もないとの診断で、これらを併せて花畑病院に対し、今後の治療方針として、三叉神経痛に対する治療、対症療法とともに、早期に社会復帰をさせるよう勧告がなされた。

4  しかし、被告は、花畑病院における長期間の治療にもかかわらず、頭部や頸部の痛みが一向に軽快せず、被告の訴えに対しても同病院が安静を指示するのみで、適切な治療をしないと、かねて不満を抱いていたところから、他の病院に移ることを考えるようになり、昭和五四年一月一七日に北九州市戸畑区中原の健和総合病院で診察を受けた。同病院では外傷性頸部症候群、胸椎挫傷、腰部挫傷の診断で、同日から同年六月二八日まで一六三日間(実日数三〇)通院して、ハーバートタンク、カイロプラクテイツク等による治療を受けたが、同時に右病院の主治医である藤川勝正医師の勧めにより、大分県日田市の第一治療院にも通い、同年一月二九日から昭和五五年八月七日頃までの間、刺絡と称する治療を受けた。しかし、通院では治療の効果が十分でないため、健和総合病院に入院ということになり、昭和五四年六月二九日から昭和五五年三月二六日まで二七二日間入院し、退院後も更に昭和五六年二月二八日まで三三四日間(実日数八一日)通院して治療を続けた。

5  そして、右主治医藤川勝正が北九州市小倉南区徳力に藤川医院を開業したため、昭和五六年三月三日から同医院に替わり、同医師からも同年七月三一日をもつて症状固定とされたが(それまでの通院実日数三六日)、なお現在まで通院を続けている。

6  そのほか、右健和総合病院あるいは藤川医院で治療中、(一)昭和五五年二月一五日に小倉記念病院の眼科、(二)同年六月二〇日に聖マリア病院の脳神経外科、(三)昭和五六年六月二九日に井上眼科医院で、それぞれ診察を受けたが、いずれにおいても格別の異常所見は認められていない。

7  また、昭和五五年一一月二八日には九州大学医学部付属病院の眼科を受診したが、視力右〇・三、左〇・二で、網膜剥離が認められたほか、諸検査の結果には異常は認められなかつた。右網膜剥離と本件事故との関連は疑問であるが、いずれにしてもこれは同眼科において光凝固術を受け軽快した。その後も、同眼科において何度か診療を受け、昭和五七年三月二四日の時点では、視力は両眼とも〇・二(矯正不能)で、調節力(五・五D)の軽度の低下が見られるため自動車の運転等は不適であり、この調節力低下が頸部病変によつて起つたものと考えられるので、本件事故との関連は否定できないとの診断を受けた。

四  本件事故との因果関係

治療経過については前記のように認められるところ、原告らはそのうち殊に健和総合病院以降の分について因果関係を争うので、これを検討する。

鑑定人矢野楨二の鑑定の結果によれば、同鑑定人は久留米大学医学部整形外科の教授であつて、昭和五六年四月二四日から同月二七日にかけて諸検査を行つたうえ鑑定をしているのであるが、被告のその時点での自覚症状としては、頭痛、頸部痛、両手指知覚異常があり、そのほかに後頭部腫腸、圧痛、左側頸部圧痛、頸椎運動痛があるが、X線その他諸検査の結果はすべて正常であり、特に異常所見はなく、右各症状のうち明確に他覚的所見のあるものとしては後頭部腫腸のみで、現在の症状には神経症的加重があり、被告の本件事故に基づく傷害はすでに症状固定の状態にある(一般的に言つて、この程度の受傷であれば、事故後六ケ月ないし一年を経過した時点で症状は固定したものと見るべきである)と鑑定していることが認められる。

そして、右の後頭部腫腸は前掲各証拠によると、花畑病院での治療中あるいは健和総合病院でも初診時には、これが認められておらず、その後第一治療院あるいは健和総合病院において多数回にわたつて行われた刺絡療法が、その原因となつているものと判断される。この刺絡療法は、もともと漢法で鍼をもつてうつ血した静脈を刺し悪血をしや出させるものであり、被告に対しては後頭部のうつ血が頭痛、視力低下等の原因になつていると判断され、後頭部の皮膚を小さく切開して血液を絞り出す方法をとられたことが窺われるが、前記鑑定の結果によれば、現在の医学ではその有効性が認められていない。

そして前掲各証拠、殊に証人藤川勝正の証言によれば、被告が健和総合病院に入通院して受けた治療の主たるものは、カイロプラクテイクと前記刺絡であるところ、このカイロプラクテイク(脊椎の調整・矯正)と称する療法は、レントゲン検査によつても認め得ない脊椎の微妙なずれを、手指による触診によつて確かめながら、これを矯正ないし調整することによつて痛みやしびれの消失をはかろうとする手技であり、上下肢あるいは全身の痛みやしびれがある症例に対し、アメリカでは若干の大学や整形外科医において行われているが、わが国では藤川医師が昭和五一年頃これを紹介し自ら行つているほか、医師の間ではほとんど行われておらず、マツサージ・指圧・はり・灸などの医療類似行為の一つとして整体師がこの手技を採用しているのみで、医療行為として診療報酬も認められてはいないことが窺われる。

もつとも、このように医療行為としていまだ確立しないものであつても、そのことから直ちに不必要、不相当な治療ということはできないが、被告が花畑病院で最後に治療を受けた時点の症状と、健和総合病院での治療を終り、引続いて藤川医院に通院中の前記鑑定時点での症状とを対比するとき、その間にさしたる変化は認められず、前掲藤川医師の証言から多少の改善は窺えるものの、その間に健和総合病院における二七二日間の入院、その前後を合せると五〇〇日に及ぶ通院期間があることを考えるならば、第一治療院における刺絡療法を含め、健和総合病院以降の治療行為が、その効果を上げたものとはにわかに認めがたく、やはり花畑病院における最終診療の時点、遅くとも前記鑑定人の述べる事故から約一年を経過した段階、すなわち健和総合病院での入院前の時点で、被告の症状は固定していたものというべきである。

五  後遺障害

前掲各証拠によれば、被告は前記治療の経過に記載のような各治療を受けたが、完治するに至らず、昭和五六年四月の鑑定時点において認められた頭痛、頸部痛、左側頸部圧痛、頸椎運動痛、両手指知覚異常等の症状、及び昭和五七年三月九州大学医学部付属眼科において診断された視力低下(両眼とも〇・二で矯正不能)と調節力の軽度の低下(三〇歳の平均七Dのところ五・五D)を残していることが認められる。そして、被告人尋問の結果によれば、被告はかねて筑邦貨物運送有限会社に自動車運転手として働いていたもので、事故前の昭和五三年四月に大型自動車の運転免許を取得し、その際の視力試験にも合格していたところ(被告自身は視力は両眼とも一・五位あつたという)、本件事故により重富外科医院に入院中から眼の充血、視力障害を覚えるようになり、花畑病院に転院時は最初から視力障害を訴え(この事実は成立に争いのない甲第五三号証からも認められる)、同病院の紹介によつて桑野眼科医院で治療を受けたりしていることが窺われ、以上によれば、本件事故による被告の前記後遺障害は、自賠責保険法別表の障害等級九級程度には該当するものとしなければならない。

そのほか、成立に争いのない乙第二六号証、第三六号証の一、二、第三九号証に被告本人尋問の結果を併せると、被告は昭和五六年一二月二四日に労災保険について障害等級一二級一二号、昭和五八年四月二一日に厚生年金保険関係で障害等級三級一四号の各認定を受け、また同年三月五日には身体障害者福祉法別表二の4の三級に該当するとして身体障害者手帳の交付を受けていることが認められる。しかして、労災保険における障害等級一二級一二号は自賠責保険におけるそれと同一であるが、そこにいう「局所に頑固な神経症状を残すもの」とは、その神経症状が単に自覚症状があるだけでは足りず、他覚的(医学的)にその障害が証明されるものであることを要するとされているところ、すでに認定したところによれば、花畑病院、聖マリア病院脳神経外科等においていずれも諸検査に異常所見は認められておらず、前記鑑定に際し認められた唯一の他覚的所見である後頭部腫脹も、本件事故によるものと認め得ないこと前示のとおりであつて、労災保険がどのような資料に基づいて右認定をしたものか明らかでなく、直ちに前記判断を左右するものではない。厚生年金保険法別表第一の三級一四号は「傷病がなおらないで、身体の機能又は精神もしくは神経系統に、労働が制限を受けるか、又は労働に制限を加えることを必要とする程度の障害を有するものであつて、厚生大臣が定めるもの」というのであるが、これは前記労災保険の認定を更に上回る神経症状の存在を認めるものであり、その根拠となつた資料が明らかでない以上、さきの判断を左右することはできない。そして、身体障害者福祉法別表二の4は「平衡機能の著しい障害」があるとするものであるが、前記症状固定と判断した時点まで、そのような障害は認められておらず、右認定がどのような平衡機能検査結果に基づくものか、資料もなく、少くともそれが本件事故との因果関係は明らかでない。

六  損害

すでに認定したような受傷の程度、治療の経過、後遺障害等に基づいて、被告主張の損害(ただし、物損を除く)を順次検討する。

1  治療費

前掲各証拠に成立に争いのない乙第六四ないし第七〇号証、第七六ないし第七九号証、弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める乙第七一ないし第七五号証を併せると、本件事故に関連して、次のような治療費を要したことが認められる。

(一)  久原外科医院 二万三一二〇円

(二)  重富外科医院 七六万六五〇〇円

(三)  花畑病院 一八四万五一八〇円

(四)  健和総合病院

(1) 54・1・17~54・6・28 一五万二一六〇円

(2) 54・6・29~55・3・26 二五五万三五七二円

(3) 55・4・1~56・2・28 二〇万四三二四円

(五)  藤川医院

56・3・3~56・7・31 一九万六九四四円

(六)  桑野眼科医院 三万四一二〇円

(七)  久留米大学付属病院 四万二七〇五円

しかして、以上のうち(四)健和総合病院の(2)(3)昭和五四年六月二九日以降の分及び(五)藤川医院の分は、いずれも前記のように本件事故から約一年を経過し症状が固定した後のものであり(被告にはその時点でも、なお頑固な頭痛や頸部痛などが残つており、たとえ対症療法であつても治療を継続したことにやむを得ない点も窺われるが)、その治療の主たるものがカイロプラクテイクと刺絡であつたことも考えと、そのまま全額について事故との因果関係を肯認することには疑問がある。しかし、そのうち相当額を原告らが負担すべきものとしても、当該部分は病院から直接労災保険に請求手続がなされ、支払われており(乙第六八ないし第七五号証)、いずれにしても被告が負担しているわけではない。

そのほか、被告は前記第一治療院や岡田鍼灸治療院でも治療を受け、前者について二二万五〇〇〇円、後者について一万二五〇〇円の治療費を支払つた(乙第八〇ないし第八二号証)と主張するが、これらについてまで事故との因果関係を認めるのは相当でない。

右疑問のある分を除くと、治療費は合計二八六万三七八五円ということになる。

2  付添費

被告本人尋問の結果とこれによりその成立を認め得る乙第四三号証によれば、被告が重富外科医院及び花畑病院に入院中、被告の妻が仕事を休んで付添つたことが認められるところ、一方、前掲乙第一ないし第四号証によれば、右両病院とも被告の受傷の程度は必ずしも付添を要するものではなかつたとしていることが認められる。しかし、重富外科医院においては、当時看護婦が一人であつて、そのため十分に手が回らず、被告の妻が付添わねばならなかつた事情も窺われるので、同医院の入院期間四四日について、一日三〇〇〇円として合計一三万二〇〇〇円の範囲で損害と認める。

3  通院交通費

被告本人尋問の結果とこれによりその成立を認め得る乙第四八ないし第六三号証によれば、被告が健和総合病院及び藤川医院に通院中、一か月に六回ないし九回、久留米市内の自宅から北九州市内の病院まで、国鉄の新幹線、特急列車などを利用して往復し、一往復について五〇〇〇円ないし六〇〇〇円位の交通費を支出していることが認められる。しかし、久留米市内もしくはその近隣に適当な医療機関が存在しないならば格別(たしかに、カイロプラクテイクとか刺絡を採用している病院は見当らないかも知れないが、そのような治療方法に疑問があることは前記した)、わざわざ遠距離の病院を選択して通院したとしても、その交通費全額について直ちに賠償義務を認めることはできない。そこで、治療費の関係で前記したような通院の必要性に、近隣の病院でも多少の交通費は必要とすることなどを考慮し、健和総合病院への症状固定前の通院分三〇回については、一回について二〇〇〇円として計六万円、その後の健和総合病院への通院八一回及び藤川医院への通院三六回については、同じく一回について二〇〇〇円として、その三分の一の範囲で計七万八〇〇〇円、合計一三万八〇〇〇円を損害と認める。

なお、被告は、そのほか日田市の第一治療院にも通院したと主張するが、事故との因果関係を直ちに肯認できないことは前記のとおりである。

4  雑費

前掲各証拠によれば、被告が重富外科医院に四四日、花畑病院に一二〇日、また健和総合病院に二七二日入院し、それぞれ一日について一〇〇〇円程度の雑費を要したことは十分に推認できるが、そのうち健和総合病院の二七二日は症状固定後のものであるから三分の一の限度で計算すると、合計二五万四六六六円を認めることができる。

なお、通院については特に雑費を必要とする事情が窺われない。

5  休業損害

被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨から真正に成立したものと認められる乙第四七号証の一ないし三によれば、被告は本件事故当時、筑邦貨物運送有限会社に自動車運転手として働いていたもので、事故前の三か月、すなわち昭和五三年四月に七万〇〇四一円(一〇日出勤)、同年五月に二四万八七六一円(二七日出勤)、同年六月に二一万八八〇三円(二五日出勤)の収入を得ていたこと、したがつて、合計六二日働いて五三万七六〇五円であるから一日平均八六七一円、右三か月のうち、四月にはたまたま一〇日しか出勤していないが、普通一か月に二五日は出勤するものとして計算すると、一か月平均二一万六七七五円の収入を得ていたことが認められるところ、前記治療の経過からして、本件事故後から症状が固定したとみられる昭和五四年六月末まで約一年間は、就労不能としてやむを得ないものと判断されるので、右平均賃金二一万六七七五円の一二か月分、合計二六〇万一三〇〇円の休業損害を認めることができる。

6  慰謝料

前記認定の入通院の経過及び後遺障害の程度に諸般の事情を併せ考慮すると、入通院分として一五〇万円、後遺症分として三五〇万円の各慰謝料を認めるのが相当である。

7  逸失利益

すでに認定したように、被告は昭和五四年六月末頃、自賠責保険法別表の障害等級九級に該当する程度の後遺症を残して症状固定となつたものであるが、同人がかねて自動車運転手として働いていたもので、それが視力低下(矯正不能)と軽度ではあるが調節力の低下により、自動車運転の業務に服し得なくなつており、しかも、右症状の改善はにわかに期待できず、就労できる仕事もある程度制限されることを考えると、労働基準局長通達の別表九級に該当する労働能力喪失率三五パーセントの労働能力喪失は、これを認めるのが相当である。

そうすると、昭和五四年六月末において三二歳であつた被告は、六七歳までなお三五年間は稼働できたものと考えられるので、前記一か月の平均賃金二一万六七七五円に基づいて、その間の労働能力喪失による逸失利益の現価をライプニツツ式(係数一六・三七四)により計算すると、次のように一四九〇万七七九〇円となる。

216,775×12×0.35×16,374=14,907,790

以上1ないし7の損害額を合計すると、二五八九万七五四一円ということになる。

六  過失相殺

成立に争いのない甲第五二号証の一ないし六、一〇ないし一二に、原告高尾勇治及び被告各本人尋問の結果を併せると、本件事故現場は、南北に通じる幅員約一五メートルの道路(中央車道部分六メートル、左右にそれぞれ三メートルの各歩道部分と一・七ないし一・二メートルの各自動車道路部分がある)と東西に通じる幅員約五・八メートルの道路の交差点であるが、原告勇治は、普通乗用自動車を運転して南北に通じる道路を進行し、右交通整理の行われていない交差点を左折しようとした際、原告自動車と同一方向から、その左側自転車道路部分を追随進行してきて、右交差点をそのまま直進しようとした被告の原動機付自転車の直前を、横切るような形になり、原告自動車の左前ドア付近を衝突させたものであること、原告勇治は左折するにあたり、交差点に接近したところで速度を毎時一五キロメートル程度に減速し、サイドミラーによつて一応左後方の安全確認をしたが、それが不十分なため、被告の原付自転車の進行に気付かず、人車の通行はないものと軽信して、特に進路を車道の左側端に寄せることもなく、左折の合図も左折地点の約五、六メートル手前に至つてようやくしたこと、被告は原告自動車の後方から進行してきて(原告自動車が減速したためか)、次第に追い付き、これと並進するような状態になつたため、車道部分の左端から自転車道路部分に入り込んで進行していたものであるが、原告自動車の進行状況からして交差点で左折することを全く予期せず、そのまま進行して事故を発生したこと、たしかに被告は原告の左折の合図に気付いていないが、前記のように左折直前になされた合図であれば、被告がこれに気付いたとしても事故を回避できたか疑問であること、以上のような事実関係が認められ、これによると、本件事故の原因はもつぱら、原告勇治が左折にあたり、左後方への安全確認が十分でなく、あらかじめ車道の左側端に寄つて進行することを怠り、しかも、いよいよ交差点に接近して左折の合図をしたことにあるというべきである。

原告らは、被告が自転車道路部分をかなりの速度で進行したことを云々するが、その点、仮に非難に値するとしてても、事故原因との関連からすれば、過失相殺をしなければならないほどの過失が被告にあつたとは、いまだ認めがたい。

七  損害の填補

被告が自賠責保険、自動車保険、労災保険等から、合計一〇一四万五一一一円の支払を受けていることは、当事者間に争いがない。ちなみに、当裁判所が本件事故との因果関係を疑問とした健和総合病院(入院以後の分)及び藤川医院の治療費等は、これら病院に直接支払われており、右金額には含まれていない。

また、原告らは合計六四〇万六八二九円の支払を主張し、その証拠として甲第一ないし第五一号証を提出しているが、これらは結局のところ、被告が支払を受けたと自認する前記金額のうち、自賠責保険、自動車保険分に合致し、それと別に支払があることをいうものではない。

そこで、前記損害額二五八九万七五四一円から右支払額一〇一四万五一一一円を控除すると、残額は一五七五万二四三〇円ということになる。

八  弁護士費用

被告が弁護士である被告代理人に本件訴訟の進行を委任し、その報酬の支払を約束していることは、弁論の全趣旨から明らかであるところ、本件事案の難易、審理の経過、認容額等を勘案すると、本件事故と因果関係があるものとして原告らに請求し得る弁護士費用額は、一五〇万円とするのが相当である。

九  結論

してみると、原告(反訴被告)らは被告(反訴原告)に対し、各自前記損害残額に弁護士費用を加えた金一七二五万二四三〇円及びこれに対する本件事故発生の昭和五三年七月八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべきである。

そこで、原告らの本訴請求中、右金額を超える損害賠償債務の不存在確認を求める部分は理由があるので認容し、その余は失当であるから棄却し、また、反訴原告(被告)の反訴請求中、右金額の支払を求める部分は理由があるので認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 権藤義臣)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例